好きな音楽をより良い音で聴くことで、日常がラグジュアリーに。
そんな『ラグジュライフ』のヒントや、音楽にこだわりをもった方々、音のプロの声をお届けします。
50代から夢への挑戦。言葉にすると簡単ですが、その一歩を踏み出すのは簡単ではありません。河西啓介さんは、車やバイク好きなら誰もが知る雑誌、『MOTO NAVI』『NAVI CARS』の創刊編集長。現在はフリーの編集者・ライター、コメンテーターとして多方面で活躍しています。
そして、もう一つの顔が、バンドマン。昨年、武道館を目指すバンド、「ROAD to BUDOKAN」を結成しました。52歳、新たな一歩を踏み出した理由とは。人生に寄り添ってきた音楽を振り返りながら、河西さんが目指すラグジュライフを紐解きます。
昨年の夏、52歳にして新たにバンド、ROAD to BUDOKANを結成しました。これは「アラフィフの男たちで武道館のステージを目指そう」というバンドでありプロジェクトです。この歳になって、まるで10代の若者のような突拍子もない夢を掲げたのには、ある“思い”がありました。50代を迎え、人生をリセットしてもういちど新しい人生へ踏み出そう、と思う出来事があったらからです。
僕は『NAVI』という自動車雑誌で編集者をしていたのですが、2010年にその雑誌が休刊になりました。そこから紆余曲折があり、自分自身で『MOTONAVI』や『NAVI CARS』という雑誌を発行する出版社を立ち上げたのですが、出版不況の煽りなどさまざまなことがあり、結局8年続いた会社をたたむことになりました。それまで自分がやってきたことがすべて崩れ去ったような気になり、精神的にも落ち込んで、引きこもるような生活になりました。
1年ほど、大好きだった音楽を聴くこともありませんでした。気持ちが鬱々としていると、音楽を聴きたいという気持ちにならないんです。音楽を愉しむには、多少なりとも心の余裕が必要なんだということに気づきました。でも少し気持ちが上向いてくると、また音楽が聴きたくなってくるんです。そんなときに僕を勇気づけてくれたのはMr.Childrenの「エソラ」という曲でしたね。「明日に羽ばたくために、過去から這い出すために」という歌詞があるんですが、それが自分の気持ちに重なって、助けられた気がします。朝起きると、この曲を聴いて「今日もがんばって生きよう」と、自分に言い聞かせていました。
「エソラ」は、音楽が過去から這い出して明日に羽ばたくための力になることを歌っています。『NAVI』が休刊になって挫折したときも、今回の挫折もこの曲に助けられました。音楽は人生を豊かにしてくれるし、苦しいときの救いにもなる。「1回目の人生が終わったんだ。これからは、躊躇せずに好きなことをやるし、手加減しない。恥ずかしがらずに声に出していこう」と思いましたね。
1年ほど前、そんな状態からようやく立ち直ったとき、「もう失うものはないんだから、これから躊躇せずいろいろなことに挑戦しよう、誰にも遠慮せず、自分のやりたいことをやってみよう」という気持ちになったんです。50を越えて、もう自分には「いつか……」なんて言ってる時間ない、と思うようになったんです。そして「自分が本当にやりたいことって、何なのだろう」と考えてみたんです。そんなときふとアタマに浮かんだのが、10代の頃はプロになることを夢見て、大人になってから趣味として続けてきたバンド活動でした。「50代のうちに“武道館のステージに立つ”という夢に挑戦しようと思い立ったんです。10代の頃に漠然と「いつか武道館のような大きな会場で演奏してみたい」と憧れていた、その場所に立つことを目標にしてみようと思ったんです。
結局、それをSNSで発表した訳ですが、そこに至るまでに葛藤はありました。「50代のオッサンが何を言ってるんだ」とバカにされるんじゃないかとか、プロミュージシャンの方に失礼なんじゃないか、とか考えましたね……。でもそこで諦めてしまったら“夢”にすらならない。夢を持つのは自由なんだし、とにかく宣言してみよう、そう思い直しました。
とはいえ、そこからのメンバー集めは大変でした。「武道館を目指す」と宣言したことで、おのずからハードルが上がってしまって……。とくにギターが最後まで決まりませんでした。そんなときにふと思い出したのが、10代から20代の初めまで、一緒にバンドを組んでいた幼なじみでした。とはいえバンドを解散して以来、会っていない。連絡先すらわからないので、試しに名前でググってみたら、出てきた(笑)。どうやら今でも音楽を続けているようで、ホームページがあったんです。そこから問合せのメールを出して、30年ぶりに会って話をしました。ことの経緯を話したら、「啓ちゃんが本気で目指すなら、協力するよ」と。
バンドメンバーも決まり、「50代のオヤジが武道館を目指します」とSNSにアップして活動を始めたところ、ある日、僕のSNSを見た音楽レーベルのプロデューサーから「一緒にやりませんか」と声をかけていただきました。「武道館、可能性あるんじゃないですか?」と言っていただきました。そしていま、その実現に向けて楽曲の制作、配信、ライブの計画などを相談し、一緒に進めています。
僕はこの「ROAD to BUDOKAN」を、単なるバンドの活動ではなくて、「大人が夢を諦めず、その実現に向けて真剣に進んでいく」というムーブメントにしたいと思っています。ひと言でいうなら「大人の青春」ですね。一生懸命な姿を恥ずかしがらずに見せていきたい。僕、昔からよく「啓ちゃんって、青春だね」と人に言われるんです。そう言われて思うのは、17歳のときからバイクが好きで、バンドに夢中になって、未だにやってることが変わってないなと。「中二病」ならぬ「高二病」なのかな、と思っています(笑)。
最初に就職したのは、広告代理店。高校、大学と離れていた聴く方の音楽も復活しました。今でもそうですが、主に聴くのは車のなか。当時は、お気に入りの曲を編集したカセットを流しながらドライブするのが定番でした。あの頃はみんなカーオーディオに凝っていましたね。僕も後ろにスピーカーを積んでカスタマイズしていました。
広告代理店を経て、『NAVI』編集部に転職。このときは、企画でカーオーディオを担当して、大金を掛けたカスタマイズをしていました。人生で初めて、しっかりとセッティングされた良いオーディオで音を聞いたんじゃないかな。感想は「凄い」の一言です。車に乗っているのに、目を閉じるとそこで演奏されているような臨場感でした。バンドだと、誰がどこで演奏しているのかポジションまで分かる。これが、音像定位(音の方向や距離)と呼ばれるものかと実感しましたね。今でも音楽を愉しむのはもっぱら車のなか。ドライブはもちろんですが、音楽を聴くためにわざわざ車に乗り込んで、停めたままで聴いたりします。
『NAVI』に転職した1995年には社会人バンドを始めました。前にいた広告代理店に音楽好きが多くて、その仲間たちと一緒に。「ダイナマイトポップス」というバンドで1970〜80年代歌謡曲のカバー専門です。誰もが知る大ヒット曲ばかりを演るのでライブは盛り上がります。今でも原宿のライブハウス「クロコダイル」で年に4回ライブをやっています。
始めたときには、まさか四半世紀も続くとは思わなかったな。どうして続いたんでしょうね。多分、自分たちが奏でた音で、みんながハッピーになってくれるのを目の当たりにしているからかな。音楽好きとしては本当に最高のこと。結局、中学の文化祭で感じたあの感覚なのかな、と思います。
今まで色々なライブをやってきたけれど、じつはあのときの感動には届いたことがない、という気がするんですよね。もし、武道館のステージに立てたら、あのときの風景、感動をもう一度味わえるかもしれない、と思うんです。もちろん、長い間バンドをやっていたからこそ、それがどれだけ大変なことかは分かっています。でも、最初の一歩を踏み出さないとなにも始まらない。
考えてみたら、小学校時代から今まで、僕の人生は音楽が寄り添っていた。いい音で素晴らしい曲を聴いたときの感動。自分で奏でた音でみんなが愉しんでくれる喜び。上質な音楽は、僕の人生にラグジュライフを与えてくれた。『ROAD to BUDOKAN』の活動も、きっと僕の人生を豊かにしてくれるはずです。
1967年、東京生まれ。広告代理店勤務を経て自動車雑誌『NAVI』編集記者に。2001年オートバイ雑誌『MOTO NAVI』を創刊。2010年独立し、出版社ボイス・パブリケーション設立。2012年『NAVI CARS』を創刊。2019年よりフリーランスに。編集者、ジャーナリスト、プロデューサーとして活動する。ライフワークのバンド活動では歌謡曲カバーバンド「ダイナマイトポップス」を四半世紀にわたり続ける。2019年「ROAD to BUDOKAN」をG/ONO-CHIN、B/TERRA、Dr/HAYATOとともに結成。4月5日にオリジナル曲『BLOW〜風は吹いてる〜』でデビュー。