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特集 2015.6.3UP | Artist Interview@試聴室 Vol.10

音楽家 宮本文昭 Fumiaki Miyamoto

飽きるほど練習して、本番でハジける!

オーボエの世界的なソリストとしても、またNHK朝の連続テレビ小説『あすか』のテーマ曲の演奏やテレビ出演でもおなじみの宮本文昭さん。2007年にオーボエ奏者を引退し、その後は指揮者として活動しましたが、そちらも2015年に惜しまれつつ引退。音楽活動に一つの区切りをつけた宮本さんをハーマンの試聴室にお招きし、これまでの音楽人生と、オーディオについての思い出、そして今後のご予定などをうかがいました。

Q:まずオーボエ奏者になったきっかけを教えてください。

宮本文昭(以下、F.M):オーボエを始めたのは、中学2年生の終り頃です。その頃僕は、美術と音楽が得意でしたので、どちらかの道に進みたいと考えていました。最初は美術にしようと思ったんです。でも学校で美術の先生が絶賛してくれた絵を母に見せたら「暗いわね」って言われてしまって。それで心が折れて絵はキッパリ諦めました。後に聞いたところ、母のあの一言は、食べていくことが難しい絵の道を、僕に諦めさせるためだったのだそうです(笑)。それで音楽の道に進む決心をしたのが13歳。でもこれって遅いんです。ピアノやバイオリンでプロを目指す子供は、3歳ぐらいから習い始めるのが普通ですから。テノール歌手だった父は「今さら遅すぎる」と言いながらも、今からでも間に合う楽器を音楽家仲間に聞いてくれて、これなら間に合う、と言われたのがオーボエでした。

Q:オーボエが吹きたかった、ということではないのですか。

F.M:僕がオーボエを選んだのは「今から間に合う楽器」という消去法でした。それまでオーボエなんて興味もなかった。音楽の教科書でしか見たことがありませんでした。父がオーボエを調達してきてくれたのですが、ケースを開けた時3つに分割されていたことに驚いたくらい。あー、これは安物なんだな、と勘違いしました(笑)。 そしてオーボエを習いはじめますが、これまた息苦しいばかりでなかなか音が出ません。「こんな楽器嫌だ!」というのが吹いた時の第一印象。音楽の世界に進みたいとは思いましたが、僕はオーボエがやりたかったわけじゃない。でも音楽で食べていくなら今の自分にはオーボエしかないと覚悟して練習を始めました。それでもオーボエは、なかなか上達しませんでしたね。

Q:高校卒業後はドイツに留学されていますね。

F.M:高校の音楽科の時から「このまま日本で練習していてもダメだ。本場でクラシックの核心をつかみ取らないと上達はない」と思っていました。留学の具体的なきっかけは、オーボエ奏者のヘルムート・ヴィンシャーマン氏の演奏を聴いたことです。彼の演奏は躍動感に溢れていて、まるで打ち上げ花火を見ているような楽しさがありました。すぐにヘルムート・ヴィンシャーマンに習いたいと思い、なんとか連絡をとりました。インターネットなんて当時ありませんからね、住所を探すだけでも大変でした。それでもなんとかヴィンシャーマンさんの住所を探し当て、手紙を出し、それで彼の指導を受けることになったのです。
留学先のドイツではたった一人で、言葉も分らないし、持ち金も少ない。この時は必死になって練習しました。1日に10時間くらい練習室にこもって練習していましたね。「フミアキ、もう帰った方がいい」と管理人のおじさんに止められたくらいです。

オープンリールのレコーダーで自分の演奏を録音しては何度も聞き返した。

Q:ドイツでは、どんな練習をしていたのでしょうか。

F.M:学校にいる時は師匠のレッスンを受けていましたが、卒業する時「これからは自分の吹きたいように吹きなさい」と言われました。でも「自分の吹きたいように吹く」ということはとても難しいのです。というのも、自分が吹いている音と、お客さまに聞こえている音は違う。だから「吹きたいように吹く」ためには自分の音を客観的に聞く必要があります。それで僕は、先生の代わりとしてオープンリールのレコーダーを買いました。当時の自分にとってかなり高価なものでしたが、頼れるものはそれしかありません。「録音して聞く」を繰り返すことで、理想の音と現実の演奏とのギャップを埋めていきました。

Q:録音することは現在のデジタルレコーダーのように簡単ではなかったはずです。

F.M:確かに演奏を録音するのはけっこう大変でしたね。スピーカーが買えないのでしばらくはヘッドホンで聴いていたのを覚えています。でも、もし僕にオーボエの才能があって何でも簡単に吹けたなら、こんな努力はしなかったと思います。僕は決して天才ではありません。僕に才能があるとするなら、地道な練習を組み立てて回路を作ること。それにどんな楽器でも、慣れてくればスラスラ演奏できる時期が来ます。でも特別な演奏会で体験する「あの感覚」を味わうためには「この程度の練習じゃ絶対足りない」ということがだんだん分かってきます。そのためにはやはり地道な練習の積み重ねが必要です。みんなからは「鬼のような練習」と言われましたが(笑)。

Q:ステージに立つためには相当な練習量が必要、ということでしょうか。

F.M:そうです。我々はお客さまが注目するステージの上で演奏しますが、お客さまはお金を払って来ていますから「見てやろう」というエネルギーの大きさが尋常ではありません。特にソリストは大変です。客席から束でかかってくるエネルギーを、たったひとりで跳ね返せる大きさのエネルギーが必要です。そのためには生半可な準備では絶対心が折れてしまうのです。
では、そのエネルギーを持つためにはどうしたらいいのか。それは極限まで練習した上で「今日はめちゃめちゃはじけてやろう」という意気込みでステージに上がるのです。クラシックはジャズのようにアドリブはありません。誰もが同じ楽譜を見て弾くのですから、人を惹きつける演奏をするためには、他人と同じことをしていたのではダメです。練習どおりの完璧な演奏、上手な演奏なら、学生でもできます。でもお客さまはそれにはお金は払ってくれません。たとえ同じ曲を演奏するとしても「今日はこいつ、何をやるんだろう」と思わせる要素が必要なのです。だから僕は学生に「飽きるほど練習しろ」といいます。自分で嫌になるぐらい徹底して練習しきっておく。もう飽きて「別のことをやりたい」と思えるぐらいになったところで、それを本番でやってしまうんです。アーティストと言われる人たちの演奏の次元はそこにあります。単なる「上手な演奏」から感動を与えられる「いい演奏」への扉というのは、意外とそんなところにあるものなんです。

音楽を極めることなんて誰にもできない。

Q:2007年にはオーボエ奏者を引退なさいました。「引退」を宣言する演奏家は珍しいと思いますが、引退を決断した理由を教えてください。

F.M:自分以外の人に「もういい加減にしておきなさい」と言われるのが嫌だったから(笑)。以前ピアニストのホロヴィッツが日本で最後の公演をした時「もっと前に聴きたかった」と書かれたコンサート評を読みました。演奏家として、みんなにお別れを言いに来た最後のコンサートでこんなことを言われたら、立つ瀬がないなぁとその時思いました。自分なら絶対、こんな風に書かれたくない。またある時クルマのラジオである演奏を偶然聴いたのですが、これがなんともいえない酷い演奏でした。誰だろうと思っていたら、驚きました。有名な方の演奏だったのです。あんなに上手かった人がこんな演奏をしてしまう。しかも大御所ですから、この人には誰も何も言えないよな、とも思いました。で、その時一緒にいた妻に「俺、辞めるよ」って言ったんです。
人に惜しまれている時期に辞めておかないと、結局、いつかはそうなってしまいます。音楽をもっと極めてからでも遅くないのではないか、と多くの人に言われました。でも音楽を極めることなんて誰にもできません。それは音楽家なら誰でも知っています。カッコつけ、と思われればそれまでですが、決断を延ばすと、演奏家は衰えながら舞台の上で死ななくちゃいけなくなります。やはり、どこかで区切りを付けて、自分で自分の身の始末をしないといけないだろう、と思いました。

Q:その後指揮者として活動されますが、宮本さんにとっての指揮者とはどのようなものだったのでしょうか。

F.M:実を言うと僕は、自分で指揮するまで指揮者にあまり敬意を払っていなかったんです。「演奏もしないくせに、棒を振ってああしろ、こうしろと言う。何てうるさいヤツだ」という程度の気持ちでした(笑)。本当に尊敬していたのは小澤征爾さんぐらい。ところが、ある時、サイトウ・キネン・オーケストラで僕がオーボエのコンチェルトを演奏する機会があったのですが、予定していた指揮者が急に病気になり、急遽自分で指揮をすることになりました。直前に小澤さんに指揮の仕方を教えてもらって振りましたが、そこで初めて「指揮とはこんなに大変なものだったのか」と思い知ったのです。それまではタクトをどう振れば指揮者の意図が演奏者に伝わるか、ということがまったく分かっていなかった。できないものがあると、できるようになりたくなる。そんな性で結局指揮にのめりこんでいき、結局オーボエ引退後に指揮者をやることになりました。

正しいことをする大切さを、音楽を通して発信したい。

Q:宮本さんは指揮者としても先日引退なさいました。ファンとしては今後の活動が気になるところでです。

F.M:今後のことはあんまり言いたくないんです。僕が「これをやりたいって」言うと、なぜか依頼が来なくなるんですよ。だから「盆栽をやる」と言っています(笑)。オーボエを教えることはずっと続けています。ありがたいことに、生徒たちはコンクールで優勝したり、オーケストラに就職するなど実績を残してくれています。
もし自分が音楽家として何かを発信するとしたら「正しいことは良いこと。ずる賢いこと、邪悪なことはダメ。正しい人たちがニコニコできるような世界をつくる」という夢を、子供たちに持たせたい。音楽を通して、子供たちにそれを教えたいと思っています。

Q:今後再びファンの前でオーボエを吹く可能性はありますか。

F.M:今後オーボエを吹かないのかと聞かれた時には「もちろん吹きます」と答えています。「ただしギャラは3億円です」と(笑)。だからおそらく演奏家としてオーボエを吹くことは、もうないと思っています。僕は高校を卒業して日本を出てから、これまでずっとフル稼働を続けてきました。もちろん「今からフル稼働しろ」と言われたらできるんです。自分のエンジンのかけ方も知っているし、「指揮者をやれ」と言われた時のように、新しい分野に飛び込むこともできます。そういう努力のスイッチの入れ方や回路は身についているので、何かを始めようとすればすぐ取り掛かれます。今は次の声がかかるのを待っている状態ですね。

レコーディングのコンセプトが、伝わってくる音。

Q:オーディオに関する思い出はありますか。

F.M:初めてラジオでステレオ放送を聴いた時の衝撃はよく覚えています。NHKの『立体音楽堂』※という番組でした。でもその放送をステレオで聴くためにはラジオが2台必要でした。当時家には1台しかラジオがありませんでしたが、どうしてもステレオで聞きたかった。それで小学生の僕はなんとラジオを自作し、2台のラジオを手に入れました。そうしてステレオ放送を聞いたわけですが、それはすごい体験でした。初めてステレオで聞いたのは「パガニーニの主題による狂詩曲」でしたが、パーンと音が浮かび上がる「仮想空間」とでも言うのでしょうか。まるで未来を見るような鮮烈な体験でした。

Q:では、この試聴室のオーディオでいくつか音楽を試聴していただき、感想をおうかがいします。どれを試聴しましょうか。まず宮本さんご自身のCDをおかけします。

F.M:では『ファイナル・オーケストラスペシャル・ライヴ-オーボエ協奏曲集』をお願いします。

Q:(試聴が終って)いかがでしたか。

F.M:非常に生々しい音ですね。久しぶりに聴いたけど、吹いている時のように、体が反応してしまいます。横隔膜が動くんですよね(笑)。それくらいニュアンスがすごく伝わります。サウンドがやや硬質に聞こえますが、キツいというより「鋭利」という印象。ソリッドなサウンドです。

Q:次は、宮本文昭さんが指揮なさったオーケストラMAP’Sの演奏による、モーツアルト『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』です。

F.M:(試聴が終って)今度は奏者じゃなくて、完全に指揮者の気分になりました。今、ビオラが聞こえてきたからと目をそっちに向けても、スピーカーしかないんだよね(笑)。先ほどのCDとは録音のコンセプトが違うので、音の印象が全く違います。オーボエリサイタルは生々しい感じでしたが、こちらの録音には瑞々しさを感じます。少し俯瞰気味で録っているんですね。録音エンジニアの方に「オンマイクではなく、ホール全体の鳴りを重視して録音してください」とお願いしました。そういう録音のコンセプトの違いが明瞭に出ています。

Letter From Home/パット・メセニー・グループ

Q:宮本さんがお好きなアーティストだとうかがい、パット・メセニー・グループのCDも用意しました。『Letter from Home』から1曲聴いていただきましょう。

F.M:(試聴が終って)素晴らしいですね。僕はパット・メセニーが大好きなんです。彼の曲をアレンジし直してもらって演奏したこともあります。リズムの乗せ方や音の重ね方が、いかにもこの人らしく清涼感があって、特にこのオーディオセットのサウンドに合っているのではないでしょうか。やっぱり人の演奏のほうが聞いていて楽しい(笑)。JBLとマークレビンソン、こんな素晴らしい2つのブランドがそろっているわけですから、まさに夢の装置ですね。

Q:この試聴室は、ご予約いただければ、どなたでも1時間、自分が好きなCDを聴くことができます。最後にこの試聴室に来る方へメッセージをお願いします。

F.M:この試聴室のシステムは素晴らしいサウンドです。CDをかけるとレコーディングした時の意図やコンセプト、それに録音方式の違いなどがとてもよくわかります。ぜひ一度体験してみてはいかがでしょうか。

宮本 文昭 Profile

1949年東京生まれ。18才でドイツに留学し、オーボエをヘルムート・ヴィンシャーマン氏に師事。フランクフルト放送交響楽団(現・hr交響楽団)、ケルン放送交響楽団(現・ケルンWDR交響楽団)、サイトウ・キネン・オーケストラ、水戸室内管弦楽団などの首席オーボエ奏者を歴任し、超絶的技巧をもつ世界的名手、ソリストとして高い評価を得る。2000年に活動の本拠地をドイツから日本に移し、JTアートホールのプランナー、小澤征爾音楽塾主要メンバーとして現在も活動を継続。その後指揮者としても活動を始め、2012年4月から東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の初代音楽監督に就任。2015年3月に、指揮者として東京オペラシティでラストコンサートを行う。現在、東京音楽大学オーボエ専攻の教授として後進の指導に取り組んでいる。

※立体音楽堂
1954年にNHKで放送された日本初のステレオによるレギュラーラジオ番組。AM2波での放送は、ラジオ第1を左チャンネルで、ラジオ第2を右チャンネルで放送した。

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次回予告 次回の“Artist Interview@試聴室”は俳優、歌手としてご活躍の石丸幹二さんにご登場いただきます。ご期待ください。

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